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2012年12月17日 (月)

道化師について

(お借りしました)

見逃しましたので、嬉しいです。

この物語はよく分からなかったのですが

結局のところ不倫なわけで、、、

悲劇と言ってもどうなんでしょうか?

ロミジュリのような若さゆえの儚さや清らかな愛が大人の都合で引き裂かれる悲劇や

白鳥の湖のような、悪魔に引き裂かれる愛のファンタジーの悲劇

とは、異なった、、、

一体誰に思いを寄せるべきかと迷うお話ではないのかな?

まあ、イメージなので、元の物語は大筋分かっていればいいと思うけれど。。

高橋がいうように、泥臭く演じると言ってくれて

何かいい予感がしました。

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コメント

naoさま、こんにちは。
少し、酔っています。今夜は。その勢いで、呟いてみます。お許しを。

オペラ「道化師」。
様々な解釈によって上演されてきました。
主人公カニオの役名は「パリアッチョ」。固有名詞。
しかしオペラのタイトルの「パリアッチ」は、普通名詞です。

見方によっては、これは愛を貫いた物語といえなくもない。
愛ゆえに陥れ、愛ゆえに殺し、愛ゆえに裏切り、愛ゆえに死ぬ。
しかし命や運命をかけたその「愛」の姿は、傍目には茶番(人間の喜劇)であり、
躍起になって愛を証明しようとした「道化」たちは打ち砕かれます。
妻と情夫を殺したカニオは最後に観客に告げる・・・「喜劇は終わりました」と。

舞台で観ると、救いようのないような重い気持ちと、妙なカタルシスを得る作品です。

愛には実体がないことを、思い知らされる。
やみくもにしかし人は愛を求め、むなしく空をつかむ道化と成り果てる。
人は愛のない人生に耐えられないと、つまり愛のない人生には意味がないといいます。
ならば結局、人生には意味がないのです。

人生に意味があるとしたら、それは自らが自らの「役割」を演じるときだけ。
生きるということは、演じるということ。
虚無に耐えて、愛を求めず、なおも愛するということ。
「むなしさを抱え、衣装を着け、化粧をして、舞台(人生)に立ち向かう」しか、ない。
役割を捨てたとき、そこに待つのは「死」のみです。

・・・高橋大輔という人物と、高橋大輔というスケーターは、同一ではない。
高橋大輔自身が演じる高橋大輔というスケーターを、私たちは見ている。
その間にあるはずの「愛」を、道化師は揺さぶります。
彼がこれほどに多様であることの前提として、彼の根底にあるもの。
それを、この作品を通じて、いずれ私たちは観ることになるかもしれません。
(でもそうなったとしても、彼は例によって台本や楽理からそこへ至るわけではないのは確かですね)

この番組は関西では見られなかったので
アップしていただき有難うございました。

高橋選手は「道化師」を見ていないそうですが、
それで「綺麗すぎず泥臭くやりたい」と言えるのは
やはり音楽に対する感性が素晴らしいなぁと思いました。

人間って、きれいごとでは済まないことや
自分自身でもどうしようもない感情や衝動にかられて苦しむ
というのはままあって、殊に恋愛において強烈に現れるのかな
なんて思ったり・・・
そういう感情は遠い昔のことで忘れましたが(^^;)
泥臭く生々しい人間ドラマを演じてほしい、
でも大輔さんが滑ると美麗になっちゃうんですけどね。

ともあれ今回のフリーは私は大歓迎なんです。
かねてから高橋大輔には重厚な悲劇が似合うと思っていたので
JOで見て「悲劇、キターーー!」と狂喜乱舞いたしました。
衣装も変わって(前のも良かったですが)大人の男っぽくなったし、
よりオペラ風味が増して悲劇性も強調されるように思います。

あ、セクシーもモチロン大好物です・・・♪

>一体誰に思いを寄せるべきかと迷うお話ではないかな?

そうですよね。他の何かからの純粋な犠牲者はおらず、皆が犠牲者であって加害者、と言う物語でしょうか。確かに悲劇、と一言で片付けてしまうと、幼い純愛ロミオとジュリエットだって悲劇だし、大人の不純物の臭気が漂う「不倫」の暴走のあげくの刃傷沙汰も悲劇、ですね。「喜劇」、と本人が高らかに宣言して自ら強引に幕を引きずり降ろす悲劇だったんでしょうか、あの咆哮のようなコレオシークエンス・・・。

それを高みから見下ろす見物人でなく、自分を嘲笑する痛みをかかえるヨゴレた中年(笑)として、人間の弱さに寄り添う観客でありたいです。何かいい予感、同感です。人間が人間であるゆえの泥臭さ、高橋大輔を通して感じてみたいですね。

さらさん
酔っぱらいのつぶやきにしては、深い。。。
お返事に困りました。
愛とは、人生とはという哲学的なところまで語ってらっしゃいますね。
さらさんの解説で、この「道化師」について、分かったような気がします。
このお話はある程度の人生経験を積んだものでなければ
理解することは難しいのかもと感じますが
これを高橋大輔がどう演ずるのか、、、、
ジャンプの不安を払しょくし、彼が到達するであろう
その演技の高みが楽しみでなりません。
彼なら出来るんですよね~不思議なことに。

ミロクさん
こんばんは。
深夜の番組も侮れませんね。
やはり「道化師」は見ていないのですね。
「道」もそうでしたよね。
曲のイメージ、その解釈と振付の意味を考えて、
彼は作品を完成させますからね。

重厚な悲劇、、、そうですね。
悲劇はもっともドラマチックです。
衣装もセクシー、、、、後は熟すのを待つばかり。

izayukamさん
ああ、そうそう同感。
道化師である客観さではなく
生の人間として演じる方を選択したのだと思います。
それは泥臭くなくてはいけません。
あの衣装もきっとそうじゃないかと。。。

>人間の弱さに寄り添う観客でありたいです。
私もそうありたい。ここに思いを寄せるべき。

後は時が来るのを待つばかりです。
成熟した彼の演技をもうすぐ目にできますね。

naoさん、お久しぶりです。

私は大輔氏と共にするジェットコースターに乗るシーズンに少しづつ慣れてきました。

今期の「道化師」をJOで生で見た時には左程強い印象を感じませんでした。
アリーナ席ではないので、その滑りにこめられた演技にまで入り込めず、興奮している内に終わってしまった・・・という感じでした。

中国杯とNHKは振り付けの変更もあり、がっかり感と今後への不安が一挙につのってきました。
やはり大輔氏はファンの声にアンテナを持っているのでしょうね。次第にJOの振り付けに回帰していったのを見るとそんな感じがしています。
ボーンの振り付け、大きな滑りを大輔さんに与えるのに大成功でしたね。道化師というオペラ素材の悲劇をとりあげたこともグッドチョイスだと思いました。

何より、大輔氏の作品に対する取り組み方に魅了されます。今期は特にバレーの成果がはっきり見て取れてライン・軸の安定を見ているだけですべりの美しさに感動させられます。チャンのすべりにもひけをとらなくなりました。今期は大輔がチャンに近づき、チャンが大輔に近づいたような感じになっていますね。そのチャンが今までのところ力量を発揮していないことは、この大輔氏の専売特許である感情や思いをのせてすべることが以外とエネルギーと集中を必要とすることをあらわしていますね。

そんな意味もあり今期の道化師には、取り組みがいのある、完成すれば「道」
を上回る芸術作品になる期待をさせる要素を感じています。

今のところは道半ばといったところでしょうか?海外の評価を見てもSPのほうが高いくらいですよね。全日本でその完成形を見たいところです。

現地に行かれる方は寒さにお気をつけて応援をお願いいたします。


genchanさん
こんばんは。お久しぶりです。

>今期は大輔がチャンに近づき、チャンが大輔に近づいたような感じになっていますね。そのチャンが今までのところ力量を発揮していないことは、この大輔氏の専売特許である感情や思いをのせてすべることが以外とエネルギーと集中を必要とすることをあらわしていますね。

とても同感です。

しかし、ボーンの振付に関しては、まだ疑心があったりします。
この全日本で、それが賛辞に変わるのかもしれませんが。。。
ともかく生を見てきます。

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